社会の文化

雑感

今を生きる現代社会において

否定の有効性

疑うことの有効性を上手く活用できていないのかなと思う。

非社会的な行為として排除され続けた結果なのかと思う。

 

疑い続けることと回らない社会になっているのかもしれない。

全てを疑う必要はないがそれらの道具をうまく活用する方法を提案できる社会でないと、今の変化が激しい社会を反映させることや良い政治を選ぶ力は減るのではと思う

 

ここをトップダウンにするとより極化するし

ここをボトムアップする教育が反映されるのは50年後とかになりそう

 

ひろゆきがうまく疑うことの良い文化圏を作り出してほしいけどはてさて

自分には何ができるだろうか